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Sound Of Silence -reports from darkroom by M.Niijima- |
Tuesday, March 29, 2005Robert Schumann
(26日を参照)「半眼訥訥」のなかで高村薫さんがウィーンフィル公演プログラムに寄せて書いた3篇の文章のうち、最後のものはシューマンが題材となっておりました。
小さいころからから音楽を聴いて育ったけれども、小さな胸を初めてほんとうに震わせたのは、記憶にある限り、シューマンの「詩人の恋」の第一曲、「晴れた五月に」を聴きながらのことだった。 ロベルト・シューマン(1810-1856)。一般的にはピアノ曲集「子供の情景」の中の「トロイメライ」がもっとも有名でしょうか。まさに19世紀ロマン派の真只中に生きた作曲家。同じくピアニストで作曲家クララ・ヴィークとの恋と結婚。そして彼の内省的な性格は不安神経症を患い、狂気へ発展、自殺未遂、そして入院、死。 作品にはピアノ曲、歌曲、他にいくつかの室内楽曲、協奏曲、そして4つの交響曲とありますが、やはりピアノ曲と歌曲がそれらの代表となるでしょう。 高村さんの、小さな胸をほんとうに震わせた、「詩人の恋」という歌曲集は、僕も必ずや年に1度は、それも決まった時期に、聴いている大好きな曲なのです。 ところで音楽評論の吉田秀和氏はシューマンの音楽が「となりのラジオとか、どこかの大きな拡声器からきこえてくるなどというのは耐え難い」とどこかで書いていましたが、僕の友人にも「詩人の恋」をじめじめとした梅雨どきに聴きたくはない、と言う者がおりました。 「詩人の恋」を聴いたことのない方のために、この曲はかなり暗いです。ハイネによる詩は痛ましいモノローグと祈りであり、「梅雨どきには」と言った友人の意見どおり、じめじめと陰鬱な気分が支配しています。そんな友人の言葉に抗って、なぜかその時期になると僕は、じめじめ体験をするためにこの曲のCDを引っ張り出してきては聴き惚れるのです。 とはいえ僕の気分はそれほどじめじめには支配されず(だから聴き続けることができるのでしょうが)、それよりもシューマンの誘惑的な旋律といやらしい和音が織り成す陰影に心を奪われるのです。 シューマンはベートーヴェンの書法を受け継ぎ発展させることを目指しましたが、彼が創造する旋律は、ベートーヴェン的な旋律内の音程関係に和声との絶対的な結びつき、構造を支える支点を欠いたもので、まさにその後のブラームスが「なんとかしたかった」世界観を見事に象徴するものなのです。 シューマンの表現の根幹は、造形美の構築以上にメッセージ性が強く支配していたのでしょう。彼の曲の中では様々な仕掛けが施されていると言われています。旋律を形作る音形が示す意味、様々な引用等等。しかしどのようなメッセージが隠されていようが、その音楽を純粋に鑑賞するうえで、シューマンの作品はなんと魅力的に響くでしょうか。そしてベートーヴェンのように完全無欠な構造を持った建築物のような構成美とダイナミズムの音楽とは次元を異にし、その書式を継承しながらも絶えず、横に揺れながら、濃厚な空気を運んでくる音楽。そんな響きを楽しむために、今年も初夏が近づいてきたら、CDラックから「詩人の恋」を引っ張り出してくるでしょう。 僕が持っているCD、「詩人の恋 ディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ(バリトン)、クリストフ・エッシェンバッハ(ピアノ)」 フィッシャー=ディースカウの歌唱、もうなにも言うことがありません。「リーダークライス」(77年)そして「ミルテン」(75年)が併せて収録されていますが、「詩人の恋」は1979年の録音。まさに円熟の極みに達した時期の録音です。そして伴奏を務めるエッシェンバッハもソロ・ピアニストとして有名ですね。最近は指揮棒も振っているようです。 Archives(previous archive links)
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