Sound Of Silence -reports from darkroom by M.Niijima-

Saturday, October 29, 2005

photographic papers

先日、ある方とのやりとりでガスライト紙による密着焼きのことが話題になりました。ご存じない方のために、ガスライト紙とは印画紙の一種でフィルムと印画紙を密着させて焼くための紙です。例えば大判カメラで撮影した8x10や4x5、キャビネ・サイズのフィルムを引伸ばさず1対1の倍率で焼くわけです。情報量が圧倒的なフィルムフォーマットの像を引伸ばさずに印画する手法ですので、これまた圧倒的な画質を得られるわけですね。僕はエドワード・ウェストンの作品を見たことがあるのですが、その階調の美しさはなんとも言えませんでした。
古い時代では(例えばパリの街角や建築物、ドアやら階段やらを撮りまくったウジェーヌ・アジェは)日光でプリントしていたようですが、その後弱い光でも感光させることができるようになったのだそうです。ガスライトのような弱い灯りでも感光させられるという意味でガスライト紙と呼んだのだそうです。
因みに印画紙は他に、密着引伸ばし兼用のクロロブロマイド紙、引伸ばし専用のブロマイド紙とあり、後者になるほど感度が上がってきます。
ところでそのガスライト紙ですが、以前はヨドバシカメラの印画紙の棚にも並んでいました。フジの「利根WP」という商品と「銀嶺WP」という商品です。ところが先日のやりとりの後、ヨドバシカメラを覗いてみると「利根」の4x5サイズが2箱しか在庫しておりませんでしたので、店員さんに尋ねたところ、店頭には在庫限りで今後は取り寄せになるとのこと。しかしフジは生産を中止しておりませんよ、と教えてくださいました。ああフジは凄いなぁ。きっと営業写真館などからまだ需要があるのでしょうね。あとはごくごく一部の芸術写真家かなぁ。パンクロ印画紙(カラーネガからモノクロプリントをつくるときに使う印画紙)もあるし、号数RCと多階調RC、そして号数のみですがバライタ紙と、しっかりラインナップが揃っているのは、もうフジくらいのものですからね。
ただしあまり色気がないというか、品物はしっかりしたものなのでしょうが(フジの印画紙、未経験なのです)、強い個性を売りにしている紙ではないと思えます。そういう意味では芸術作家より営業写真館などに向いているのかもしれませんね。

色気のある(?)魅力的な紙というと、僕的にはフランスのベルゲールかな。あの純黒のグロッシーを是非とも使ってみたいです。温黒紙も魅力ありますが。それとコットン紙。あのブラックホールに吸い込まれるような(もちろん経験ないですけどね)黒をいつか必要とするような写真が撮れるといいなぁ。
以前ベルゲールはとても高価というイメージがあったのですが、最近イルフォードに次いでフォルテが値上がりしポリグレード(バライタ多階調、純黒)の小全紙10枚が5千円となり、ベルゲールよりちょい高くなってしまったので、もはやどれも似たようなもの。
というか、白黒感剤はこれからはそういう高価なものなのだと思うようにしました。

ところでイルフォードの定着液、ハイパムフィクサー買ったら7百円超えてました。以前は550円くらいだったのにぃ(涙) あ、そういうことは言わないんだっけ?

Monday, October 24, 2005

playing with a sunlight

昨日曜。ふたりの友人たちと写真を撮りに台東区谷中へ。JR日暮里駅で待ち合わせ(僕がこの日の午前中に野暮用があったため、それまではおふたりで台場を周られたようです。)、名所?らしい「夕焼けだんだん」という階段を降り、谷中銀座(商店街)へ。道幅の狭い商店街は、地元対象の商店と、僕たちのような一元の客、観光客を相手にする商店が入り混じる小さな浅草といった風情でした。商店街が切れると、ぐねぐねぐねぐねとした通称「へび道」。この道はほぼ南北に伸びているのですが、細かく蛇行しているため午後2時すぎの斜光がおもしろく入り込んだり、消え入ったり、光を探しながらの散策はおもしろかったです。この辺りは坂も多く、へび道を抜けたあと、あかじ坂を登り、「大名時計博物館」脇へ(映画の撮影をしていました。)。そして好奇心旺盛に細い路地、細い路地と、歩いていくと言問通りに出てきました。
谷中1丁目1番地付近にあったカフェに入り休憩。3人でそれぞれのカメラをいじくったり、プリントを見せていただいたりと、まるで写真愛好家のオフ会のよう! あやしいオッサン3人組なのです。
その後、不忍通りから上野公園へ。池の周囲を散策していると最近めっきりと早くなった日没。
写真を愛する友達と一緒の時間を過ごしていると、ますます写真が好きになり、そして新たな写真をつくる情熱が沸いてくるのです。

Sunday, October 16, 2005

The naked piano

今年6月に会社のピアノをオーバーホールしたのです。最近の一連の写真はそのときのもの。今日の写真では、すっかり全ての弦が取り外され、真っ裸になった状態を見ることができます。これは作業を開始して1時間半後くらいの姿です。
この後、ダンパーといって弦の響きを止める装置の、弦と触れ合う部分のフェルトを交換し、そして新品の弦を張っていきます。そして音の調整を始めていくのです。
グランドピアノの弦は、ひとつの鍵盤に対し、1本から3本ひと組で受け持っています。ほとんどのピアノには黒鍵と白鍵をあわせ全部で88の鍵盤があります(よって米国の一部ではピアノのことをeighty eightと呼ぶ人たちもいます)。高いほうから75鍵分はそれぞれ3本の弦が張られ、次の5鍵は2本。最低音側8鍵分は1本の弦でまかなわれています。つまり都合243本の弦が強い張力で張られているのです。その張力は、一部のバランスを急激に壊すと、ピアノ本体そのものを大音響とともに破壊させるだけの力を持っているのだそうです。

さて、この写真に写っているピアノは全ての弦を張り直した後、5日連続、1日あたり8時間から10時間かけて、技術者が少しづつ音の調整作業を行いました。しかしそれだけでは元通りになりません。さらに2週間に1度、技術者に来てもらい、これも1日あたり8時間の作業を、4回ほど繰り返しました。

あれだけの張力でもってバランスをとっていたピアノ。しかも243本の弦。この弦を全て新品に変えた後、再び音楽を気持ちよく奏でるためには、絶えず変化する新品の弦に、時間を掛けて付き合わなければいけません。本体だって強い緊張を解かれ、ふう、と息をつき、そして間も無く再び強い力で引かれるのです。すぐに馴染めるわけはありません。
少しずつ、少しずつ、調整し、徐々に徐々に安定させていく、地道な作業。今回お願いした技術の方はほんとうに良くやってくださったなぁ。プロフェッショナルです。
僕たちはピアノの音を収録するとき、最低でも、その日の朝に技術者に来ていただき調律(ピッチを合わせ全鍵盤のバランスをとってもらう)作業を行います。ピアノがメインとなるアーティストの場合は、その調律師がセッション中、ずうっと立ち会う場合もあります。たったひとつの鍵盤のピッチがほんの少しだけ変わってしまったり、アクション(鍵盤の重さなど、他とのバランス)の微妙な変化を逐次直してもらうためです。ほんとうに微妙な差を調整してもらうのですが、そこまでのピアノに安定させるためには、こういうオーバーホールもときに必要であり、そしてオーバーホール直後は調整に次ぐ調整を施し、再び安定した楽器へと導いてやらなくてはなりません。実際その間は、本番に耐えるだけの安定した楽器ではありませんのでピアノ収録はできないことになります。我々にとっては商売道具を、しばし使えなくするのですから、勇気がいりますけどね。それでも再び安定を取り戻せば、また高らかに歌う楽器へと戻ってくれるのです。もちろんピアノは演奏されることで、その微妙な振動を受けることで、何年もかけてよい楽器になっていきます。
今回20年ぶりに張った新しい弦により、このピアノはより音量を増し、アタック音を強くし、音の伸びを増しました。そして少しずつ安定を取り戻しています。次の20年、どんなアーティストたちと一緒に良い響きを聴かせてくれるのか、とても楽しみです。

Friday, October 14, 2005

Everyone becomes a photographer at the athletic meet

来年4歳になる娘を、4月から3年間幼稚園に通わせようと、いま園選びをしています。近所に在るいくつかの私立幼稚園の中から4つほどに絞り、それぞれの説明会に出掛けたり(は家内に任せています)資料を取り寄せたりとしております。
そしてこの10月は各幼稚園にて運動会が催されますので、週末のたびそれぞれの園を見に出掛けていました。運動会を見ることで、(お遊戯などの出来や先生たちの行動で)その園の厳しさや、逆にのんびり具合を多少知ることができますし、園児たちの両親がどういった感じなのか、これも少しだけ垣間見ることができます。(でも実際のところは、いざ通ってみないと判らないことのほうが大きいと思いますけどね。)
娘は未就園児のためのかけっこに参加して興奮してました(こういうプログラムが挟まれているのは、うちのような家庭に向けた幼稚園側の営業販促活動のうちなんだな、きっと。)

ところで最近では子供の運動会、小学校くらいまでは、親による(見学)場所どりや、大袈裟(?)な撮影が目立つということをよく聞きます。
実際に行ってみますと見学席一面にたくさんのシートが敷かれ、親たちの熱心さが伝わってきます。

来年はうちもそうなるのか!

そしてお父さんカメラマンたち。ハンディビデオカメラ、デジタル一眼、コンパクトデジカメ、中にはフィルムカメラ...百花繚乱のカメラショーですね。

来年は僕もそうなるのか...

僕としては年に数枚、娘の成長が見え、記念に残る写真が撮れればいいなと思っています。運動会でも1カットだけ、そういう写真が撮れたらいいなと。それ以外はカラーネガやデジカメでのスナップで充分。で、運動会でのハイライトはなんだろう? お遊戯? 徒競走(まだ「かけっこ」のレベルかぁ)? それに備えてAF1眼でも揃えるか!?
ニコンF6はまだ高いから、F5を中古で。80-200固定f値のズーム・レンズ? そんで動体予測モードで? .....あはははは、どうやってお財布番頭=家内を説得するんだ!
幼稚園のかけっこくらいマニュアルでピント合わせられないようではダメだな。あの距離くらいなら今もっている135ミリ・レンズでカバー、三脚に据えれば、追いピンでなんとかできるさ。なんならスーパープレスト詰めて深度を稼ぐ。雲っていたらデルタ3200でもいい。
あ、話しがどうしてもフィルム・カメラ。そして白黒フィルムって展開になっちゃうなぁ。
なんてことを、ときどき思いめぐらせるのも楽しいのだ。

さて今日の写真。ピアノの全ての弦を2人の技術者が外しています。

Thursday, October 13, 2005

Photos that have lost the sense of the seasons

ところで一昨日、フォトブログは止めてしまうかもと書いたところ、それを惜しんでくださる方がいらっしゃいました。とても嬉しいことです。
そして楽しんでくださっていることが判ると、やりがい、続けがい、がありますね。これにはとても弱い(^^;
まだしばらくはストックがあるので、すぐに更新をストップしなくても良さそうですが、その先はどうなるでしょうか? ちょこちょこと同じように撮影してアップできるかな? 現在のようなペースではなく週1回とかの更新ならば... ところが、現在においても撮影、現像、スキャン。多くて日に1度の更新とやっていると季節感のようなものは出せないんですよね。ひと月遅れの七夕の写真とかアップしていましたからね。街の賑わいや、その逆などなど、街は季節ごとにその表情を変えていきます。そういうものを表現するとき、デジタルのスピードって有効です。これからじっくりと撮影するようになると、そういった季節感みたいなものはさらに出せなくなるなぁ。今でさえフォトブログ上には7月に撮った写真をアップしています。僕のフォトブログはこれからが本格的な夏のシーズンなのですからね。

さて、昨日の画像「これなんでしょう」の正体ですが、グランドピアノの一部です。といっても通常(演奏できる状態で)この姿を見ることはできません。
ピアノは弦楽器です。この仲間を小分類するとヴァイオリン属など弓で弦をこすり音を出す擦弦楽器(さつげんがっき)、ギターや三味線など弦を弾いて音を出す撥弦楽器(はつげんがっき)などがあり、このような小分類に当てはめるとピアノは打弦楽器(だげんがっき)ということになります。すなわち弦を叩いて音を出しているのです。ピアノの弦はものすごい張力で引かれており、その弦を(昨日の画像右側上部にある)ハンマー(といっても直接弦にあたる部分はフェルト製です)で叩いています。グランドピアノは鍵盤からこの打弦システムまでのユニットをすっぽりと取り外すことが可能で、本日紹介している画像で見られるのがその外されたユニット全体です。

Wednesday, October 12, 2005

a change in my state of mind

昨日書いた写真の取組みに対する心境の変化ですが、今年はストリートスナップをたくさん撮り、そしてフォトブログというかたちで見ていただいております。一応毎日か、2日に1回くらいのペースを目標としてアップしています。パッパと撮って現像、またパッパと撮っては現像。そしてネガスキャン。その段で超ダメダメカットはスキャンされません。スキャンされた画像はPC内に「未アップ」と名づけたフォルダに入れておきます。その中からアップしていくのですが、順番待ちしているカットも、やっぱりツマラナイと思えば「落選」フォルダ行き。残ったものがアップされていくのです。アップされる画像の中でも僕自身、これはまぁまぁかな、とか、これは全く無反応かもな、またはこれは結構いけてるので反応が多いかも、と画像のランクが見えてきますし、いただくコメントを読むとたいてい僕が予想したとおりの反応が跳ね返ってくるようです。
このフォトブログを始めるとき、もしかするとアップする画像のクオリティは全体的には落ちるかもと予想していました。そしてそれよりもエンターテイメントじゃぁありませんが、写真を撮る楽しさとか、そういったものが伝わればいいなぁって思ったのです。
で、果たしてこのようなスタンスでいいのだろうか? と思い始めました。寡作でもクオリティの高い作品をドーンとアップされている方々にはけっこう憧れます。

そして最近いくつかの写真展を見て周ったり、知り合いにプリントを見せてもらったりしている中で、まず、ある若い作家の写真展で衝撃を受けました。被写体を捉える目線みたいなものにとても惹かれたのです。もちろん真似をするつもりはありませんし、そこまでゆけるかどうかも判りません。しかし僕自身の目線で再構築することでおもしろさが出ればいいなとは思います。
次にご年配の写真家さんとの出会い。その方の膨大な(といってもごく一部)生プリントを拝見しているうちに銀塩プリントから得られる感動というものを再認識しました。僕もそこまでの焼きができるようになりたいと思いました。しかしその方は50年のキャリアがあり、そうそう近づけるものではないことは解っています。それでも喰らいつきたいと思いました。キャリアの差を埋められるのならば、積極的に新しい技術にも挑戦したいです。
その方は135から中判、そして4X5、8X10とありとあらゆるフォーマットを使いこなしているのですが、そこで僕は、まず、135フォーマットで出来ること、その可能性を最大限活かしたプリントを目指したいと思ったのです。それがあらたなスタートです。

さて、またも「これなんでしょう」シリーズ。

Tuesday, October 11, 2005

I urge myself to reconsider.

ところで最近、僕は勘違いをしていたのですが、この編鐘という楽器が、映画、チャン・イーモウ監督の「Lovers」で使われたと思っていたのです。「Lovers」の冒頭シーン、女郎屋でチャン・ツィイー演じる舞妓が、舞いながら奏でる楽器は鐘ではなく、太鼓のようなものでしたね。しかしその太鼓も複数あり、それぞれ違う音程を持っていたんだと思い出しました。ところで、あの組太鼓が実在した楽器なのかどうかは判りません。中国古典音楽の参考書籍の類の中では見たことはありません。

さて、いろいろと考えることもあって最近写真を撮っていなかったのですが、また撮りたいと身体がうずうずしてきました。
写真には様々なフォーマットのものがあり、ごく一般的な35ミリ・フォーマットから、中判、大判...ああデジタルカメラももう立派なジャンルですね。さて大きなフォーマットには階調の滑らかさなど小さいフォーマットでは得られない魅力がありますね。いつかはチャレンジしたいなと思っています。
しかし僕は、ここで35ミリ・フォーマットの白黒写真をもう一度初心に返り、ひとつひとつ丁寧に作っていきたいと思うようになりました。

それによって、今やっているフォトブログを止めてしまうことになるかもしれません。あれはあれで、とてもエキサイティングな体験ではあるのですが、量産するような撮影はできなくなるかもしれないからです。(まだ夏に撮ったストックがあるので、しばらくは続けられそうですが。)あのようなスタイルでアップしていく量産系写真にはデジカメが圧倒的に有利だと思います。
といってもストリートに出ること自体を止めてしまうことではありません。でも、ある瞬間にだけ現れるようなものをパッパと撮るような行為にはならないと思います。
在る場所を発見したら、何度となく通い、光の通る道や影の出かたを知り、中庸感度のフィルムと三脚でしっかりとした撮影を行いたいと思っています。そして常に大伸ばしを意識した作品、プリントづくりを行っていきたいのです。カメラはニコンFM2、またはキャノンP。キャノンPはレンジファインダー機ですが、これに着けている50mm、f1.4レンズがかなり解像度が高いなぁというのが実感としてあるので、これはラインナップとして使っていきたいと思っています。
ああ、ライブフォト。これは僕のライフワークになりつつあるので続けていくでしょう。

Friday, October 07, 2005

Well, what is this?

ここのところ忙しく日記も全然書けぬまま10月も1週間過ぎてしまいました。
さて、下の写真に写っている謎の物体は、楽器です。



これは編鐘という古代中国に存在した楽器のレプリカ(演奏可能)です。ご覧のとおり、沢山の鐘が付いており、それぞれの大きさが違うことより、ひとつひとつの鐘の音高が違います。すなわちメロディを奏でることができるのです。西洋では、このように複数の音高が違う鐘が組みになった楽器をカリヨン=Carillonと呼んでいます。
編鐘は紀元前5世紀ごろには存在していた古楽器で、身分の高い人の墓に、埋葬者とともに埋められていました。中国全土から発掘された編鐘は400から500を数えると言われています。
しかし時が過ぎると漢の文帝(紀元前2世紀後半)や魏の武帝(3世紀後半)らが、大量に青銅を使用するこの楽器の生産を中止させたので、絶えてしまったのです。生産を止めさせた理由は軍事強化のためです。
さてこの編鐘ですが、日本のお寺にある鐘と同様、丸太棒で突き、音を出します。また非常にユニークな特徴として鐘の真ん中を叩いた場合と、側面を叩いた場合で、音程が変わり、その差がきちんと長三度か短三度に調律されていることです。このことで非常に複雑な音階なども演奏が可能だったようなのです。因みにこの時代の中国には既に、僕たちが日頃馴染んでいるドレミファ、すなわち12音平均律に近い12音階を持っていたことも解っております。すなわちこの楽器で現代の曲を演奏することが可能なわけです。
ところで当時はどのような楽曲が、王侯貴族たちの夕げで演奏されていたのでしょうか? たいへん興味があります。
発掘され、発見された編鐘の中で、最大級のものが「曾侯乙の墓(そうこういつ)」から出土した65個の鐘のついたセットであります。そしてその編鐘の傍らから発掘されたものには、たて笛、太鼓、笙、25弦の琴の一種など、たくさんの楽器があり、それらでアンサンブルされた音楽が奏でられていたことが解ります。そして曾侯乙本人の骨以外に、13歳から25歳の女性の骨も21体分出てきたそうです。これらは曾侯乙の侍女と音楽と舞をつかさどる人たちのようで、すなわち殉葬者ということです。

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