Sound Of Silence -zakki-

イモジン・カニンハムとルース・バーンハート展 (z040416a)
イモジン・カニンハムとルース・バーンハート展を東京写真文化館で見た。
実はお二人の作品はおろか、その名前さえ今回はじめて知ったのだが、イモジン・カニンハムさんは1883年生まれで1976年に93歳で亡くなられている。作品はヌード、そして花。
ルース・バーンハートさんは1906年にベルリンで生まれ、まだご存命なので今年99歳を迎えるとのこと。静物とヌードの2つのテーマを撮り続けてきている。お二人とも20世紀を代表する女性写真家であるとのことだ。


イモジン・カニンハムさんの作品は1906年のセルフヌードから始まる。そして他の女性、男性、子供までも一家で脱がせちゃう彼女の写真は当時大スキャンダルだったとのこと。これら初期の作品は美しいプラチナプリント(赤褐色だったのでプラチナ・パラジウム・プリントというやつか?)で見ることができる。
カニンハムさんは結婚後、3人の子育てに追われながらも家事の合間に植物を育て、それを写していった。これが彼女のもうひとつのライフワークになっていく。
マグノリア(=モクレン)の花の作品は、現在撮られている(または撮られてきた)全ての花の写真の礎となっているのではないかと思わせるほど強い印象を与えられた。花を、忠実に、まさに写実と言わんばかりにストレートに撮った強さが感じられる。


写実。あるがままに撮ること。と言うと中平卓馬氏の「図鑑の猫」の話を思い出す。可愛らしい猫を写した写真は溢れているが、図鑑に表されるような猫の姿こそ猫であり、写真だ。みたいなことを仰っていたなぁ。


ヌードの作品では、寒い中、服を脱がされたモデルの鳥肌が生々しい作品は、身体をあるがままにストレートに写し取った最高の作品ではないだろうか?


彼女のコーナーに展示された最後の作品は1972年、死の4年前のものだが、縦位置の下半分に植物の葉を見せ、右上に彼女自身の(と思われる)右手を配置しているのだが、もちろん多くの皺に覆われた手ではあるが、とても90歳を向かえる人とは思えないくらい美しい。セルフヌードで始まった彼女の写真=写実の人生は、美しい自身の右手で何かを掴んだのだろうか?
80歳になったアンセル・アダムスが90歳の彼女を「写真の聖人」と呼んだのにふさわしいシンボリックな作品だ。



一方、ルース・バーンハートさんはブツ撮りのスタジオ・フォトグラファーとしてキャリアをスタート。サンタバーバラの海岸でエドワード・ウェストンが足元の岩を撮影しているところに運命的な出会いを果たす。以降バーンハートさんは写真作家として、岩や骨、雑貨屋で売っているような小物=静物、スティル・ライフとヌードという2大テーマで創作を開始する。
こんなもの付けていたら趣味悪いって言われそうな、アクリル製だろうか? 透明のドアノブ(ダイアモンドのようにカットされている)。それが日の光で水晶かダイアのごとく光と陰を作り出しているところをおさえた美しい作品がある。
彼女の言葉を紹介しよう。
 私の人生の享楽は目から始まった。小さな子供のように私は好奇心に取り付かれてきた。90歳を超えた今もそれは変らず、平凡なものが奇跡的に美しいものになるのを見つけることができる。 そのときの感動はいつも新鮮である。


彼女のヌード作品はまるで静物作品のように(被写体を)客観視している。それは彼女自身が女性であり、性別という方向から女性の身体を捉えていないからだと言う。男性(写真家は)は女性を魅力的なものとして捉え、それが作品に表れるが、彼女にとっては木になるナッツやリンゴと同じように美しいものなのだそうだ。
僕は男で、かつ俗人なので、そのような彼女の作品においても50%は彼女の言い分が解り、50%はどうしても女性賛美の眼でみてしまうのだ。
しかしこれは写真にとって(その写真を判断するうえで)どうなのだろうと、始めて自問した。すなわちモデルが(その身体が)素晴らしいのか、写真そのものが素晴らしいのかということだ。もちろん「素晴らしい体を、素晴らしい写真技術で美しく捉えた作品」というのもアリなんだろうけれど、彼女の狙いは「写真、そのものが美しい」というところなんだよね。これは作品として一歩上を行っている気がする。


このお二人の展示は4月25日まで見ることができるので、もし興味を持たれたかたはお早めに。
東京写真文化館4階メインギャラリー 平日11:00〜19:00 土休日11:00〜18:00
(入場は閉館30分前まで、月曜休館)
一般650円、学生600円、中学生以下無料。因みに僕が訪れた水曜日は優待日で350円。
(uploaded on April 16th, 04.)




ライブフォト撮影 (z040407a)
最近プライベートで聴く音楽の9割近くがクラシック音楽となっていたのだが、昨年久しぶりにジャズを生で聴きたくなり、それこそ久しぶりにライブハウスに行ってみた。 そのときの演奏が心に残り、以来ちょくちょくライブに通うようになった。ジャズはクラシックと同様、高度な演奏能力、アンサンブル能力を必要とする音楽であるが、このジャンルでも女性の台頭には目を見張るものがある。
そんな今のジャズ・シーンを女性アーティスト中心に撮っていったら、おもしろいかも? 東京の音楽シーンの(ほんの一部分ではあるが、それでも)ある一面が見えてくるのでは? と思うようになった。


そしていくつかのライブハウスに行ったが撮影条件はなかなか厳しい。
まず僕自身の絵的な好みもあるし、他のお客さんも嫌がるだろうからストロボは使わない。
また撮影対象がロック・ミュージシャンだったらブレをいれて、動きを表現するという手もあるが、ヴォーカルを中心にしっとりとした雰囲気を捉えたいので、シャッタースピード1/125秒でギリギリ動きを止めている。
そして被写界深度を考慮して絞りのf値は、f2.8を限度と考えている。動きのある被写体にf2.8未満で、さらにはカメラを手持ちの状態で焦点を合わせるのは僕の技量では結構ハードだ。(とはいえ最近、至近距離からの50mm、f2.0のイメージもおもしろそうだなぁ?なんて考えているのだけど)
ライブ中はスポット・ライトが光源となるが、そこそこの大きさ、ワット数を持つ小屋でも上記1/125秒、f2.8というと、EI値は800〜1600。口径の小さい簡易スポットライトのところはEI3200〜6400となる。
よってフィルムは超高感度。以前夜のCITYSCAPEを撮っていたときにも使っていたILFORD DELTA3200を選んでいる。
まあ条件厳しいとはいえ、こんなフィルムがあるので僕のような我流の素人でも「撮ってみよう」となるわけだ。


1938年ごろからニューヨークのジャズ・シーン(それはまさに歴史だ)を撮っていたウィリアム・ゴットリーブ氏(参考:The Golden Age of Jazz by William P. Gottlieb)は暗いライブハウスにスピードグラフィックス(通称スピグラ。3+1/4×4+1/4サイズのカメラ。そんなサイズあるんだね。=注)を持ちこみ、一回づつ電球を交換するというバルブ・フラッシュを使い(場合によっては数個のフラッシュをシンクロ、同時発光させていたようだ)一晩に3〜4カットしか撮らなかった(コスト面を考慮すると撮れなかった)という。
いまはその時代とは比べようもなく(機材・資材的に)恵まれているな。


第2の壁は被写体がミュージシャン、ヴォーカリストであるということ。
すなわち、それこそゴットリーブ氏より遥か昔から音楽家は写真のモデルとして撮りまくられているという事実。そんな被写体に対していかに鮮度の高い写真を撮るか、撮れるかだ。
ゴットリーブ氏は、同じくジャズを撮るハーマン・レオナード氏との対談の中で「作品を各アーティストとの友情の記録としても捉えている」と話している記事を読んだことがある。
僕はどんな関係をミュージシャン達と築くことができるかな?



さてライブハウスでは僕以外にもカメラを構えている方を見かけるが、みなさんデジタルなんだよね。銀塩でカシャッてやっているのは僕くらいなもの。今のデジタルってあんな暗い環境でも撮ることができるんだね! いやぁ凄い凄い。
(uploaded on April 7th, 04.)


(注)その後ちょっと調べてみました。ゴットリーブ氏のサイト、The Golden Age of Jazzにてスピグラのフィルムサイズが3+1/4×4+1/4であると記されておりましたが、スピグラには元々、4×5、3×4(これが3+1/4×4+1/4だな。)、2×3(2+1/4×3+1/4)の3タイプの機があったとのこと。その中で氏が所有したタイプは3×4だったということだろう。
(uploaded on April 8th, 04.)




zakki_previous
home   texts_index